「俺はこの女になら、戦場で背中を任せたっていい。世界中で、たったひとりな。隠れるだけでなにもしない、できない奴が、知ったふうな口利くんじゃねえっ!!」
 怒りに操られていたとはいえ、自分でも不思議な言葉を選んでいた。この少女との間に、信頼関係などあろうはずもないのに。
「戻ったら奴等に対する備えに、好きなだけ意見させてもらうからな」
 思い出したように付け加え、結界の切れ目へと馬を向かわせた。


 目前の、なだらかな左カーブを曲がり終えれば、林道が切れる。結界が包む範囲もそこまでだ。ここからは慎重を期し、徒歩で進む。
「降りてくれ。馬を繋ぐ」
 スカートの裾を押さえながら飛び降りたアンジェリカは、音もなく接地した。顔色はいま一つだが、元気を取り戻しつつはあるな。
「大丈夫なの?」
 言うべき台詞を先に取られてしまった。
「なにがだ?」
「だって、汗びっしょりだから」
「ああ、暑いだけだ」
「そんなに暑い?」
 真っ白なハンカチを差し出してくれながら、アンジェリカは首をかしげた。
「暑いのは、心底苦手でね。それはいいとして、ここでしばらく待っていろ。いや、来るなと言うんじゃない」
 どうせ、聞き分けはしないだろうし。
「どんな天使がいるかは知らないが、俺と一緒にいる姿を見られては都合が悪かろう。だから、先に行く」
 大股で数歩進み、俺は踵を返した。
「これ、ありがとうな」
 洗って返すのが本当だろうが、アンジェリカに向けてハンカチを放り投げた。
「持って行っていいのに」
「こんなことでも、借りを作ったままじゃ戦えないからな。天使と俺は……お前と俺は、敵だ。隙があれば、いつでも殺せ。俺ももう、容赦はしない」
 そう言い捨てて、俺は走った――いや、逃げ出したのか。アンジェリカがどんな瞳で俺を見たのか、知りたくなどなかった。


 開けた視界の先には、黒焦げた亡骸が数体転がっていた。背後からの風のおかげで、異臭は嗅がなくてすみそうだがこれはまた、やっかいな相手だな。
 姿はなくとも、どの天使が襲い来たのか察しがついた。散り落ちた真紅の羽。炎を使ったこの技。
「降りてこいよ」
 結界ぎりぎりまで歩を進め、正面を向いたまま低く言った。
 翼影が黄土を蠢き、疾風と共に舞い降りたのは、紅天使プロミネンス。名の示すとおり、紅一色で備えた防具に、毒々しいまでの紅い翼を持つ、巨大な戦闘天使だ。炎を司るだけに、少しばかり分が悪い相手でもある。
「子供はどこだ? 生きているだろうな?」
「向コウデ眠ッテイル。マダ、悪デハナイ。殺スコトハデキナイ」
 それを知りながら襲ったということは、子供を餌に、人々をおびき出すのが狙いか。
「そうまでして、この町を滅ぼしたいか」
「違ウ。貴様ダ」
「……なに?」
「予定ハ変更サレタ。コノ町ヨリ先、貴様ヲ滅ス」
 はっ、なんてことだ。天使が予定を、神に記された未来を変えただと。天使が歩んだ数千年の歴史の中で一度たりとてなかったことを、俺ごときを抹殺するためにしたと。
「それはそれは、光栄の極み」
「表ヘ出ロ」
 ここは充分、表だよ。
 そんな軽口を返す暇さえなく、火球が迫った。反射的に後退りはしたが、炎は結界に触れると同時に打ち消えた。
 俺は左右にフェイントを踏みつつ、攻撃に移るタイミングを計った。これ以上結界を、傷められたくはない。それでなくても連日の高気温で、再生能力が低下しているはず。
 俺の心内など委細構わず紅天使はさらに、一段上位の炎魔法を生み出した。
 よし、チャンスだ。俺の全てを飲みこめる巨大さが逆に、一種の目隠しの役割を果たしてくれる。当然、術後の隙もでかい。
 中央から業火を突き破ると見せ、素早い側転で左を取った。着地と同時に抜剣を終えた腕を、脇腹めがけて伸ばす。
 だが俺は、勝負を決めたはずの切っ先を下方へ転換、地面にえぐり刺した。反動を使って、宙に逃げ場を求めたのだ。
 気づくのが少しでも遅れていたら、やられていたな。証拠に、半瞬前まで俺がいた場所は、炎に舐め尽くされていた。
「もう一匹、いたのかよ」
 間合から大きく外れた場所に着地し、振り返りながら驚愕を呟いた。
 度重なる天使との戦いを経ながら、どうにか俺が生き抜いて来れたのは、単独行動、一騎討ちという二つが、天使が行動する際の鉄則だからだ。
 剣を青眼に構え、大きく息を吐いた。二対一では、分が悪いどころではない。せめて、冬ならば……。
 しかし、その焦りは杞憂に終わった。紅天使の片割れ、一回りほど体格に優れた男は、もう一方に下がるよう、身振りで指示を与えたのだ。
 そうだ、それでこそ天使。誇り高き盲目の使者よ、
「死を授ける!」
 一気に間合を詰め、斬撃を繰り出した。強引な攻撃だが、とっくに呼吸は乱れている。炎のせいで、周囲の気温が格段に上昇したせいだ。短期で決めなければ体力がもたない。
 対して紅天使は、巨体を縮め連撃を凌ぐ。多少の傷は与えたものの、致命傷には遠い。
 だめだ、身体が重い。動いてくれない。
 体格的にも撃ち合う不利を感じ、バックステップで距離を取ろうと思った瞬間、攻守は逆転した。大剣が唸りを上げ、袈裟に振り下ろされる。
 くっ、不調これに極まれりだ。いつもなら、考える前に身体は反応しているものを。
 内心舌打ちながら、破壊的な撃ち込みに応戦するしかない。一合、二合、三合……。紅天使の暴力は、弱まる気配すらない。
 まずいぜ、手が痺れてきた。
 横薙ぎにでもしてくれれば、その勢いを利用して後ろに跳べるのだが、撃ち下ろされるばかりの攻撃では、埋まっちまうぞ、くそが!
 こうなれば手は一つ。多少のダメージは覚悟し、この状況下からの脱出を最優先させる。
 どれだけ嵩にかかった攻撃でも、隙ができる一瞬がある。それは呼吸だ。息が続かなくなったそのとき、わずかながら攻めは遅れる。
 いまだっ!
 ひゅっ、というかすかな呼吸音と同時、膝のタメだけで、できうる限り後方に跳んだ。それを見るや紅天使は大きく踏みこみ、俺の首を狙って大剣を振るった。
 そうだ、それだ!
「ナニッ!?」
 激しい衝撃と甲高い金属音に包まれながら吹き飛んだ俺は、背後にあった大木に叩きつけられ、望まぬ空中浮遊を終えた。口一杯に、血の味が広がる。
 だが、この程度の吐血で死の崖っ縁から脱出できたのだ。俺は、こみ上げる笑いを隠さなかった。
「キ、貴様、浮キ上ガッタ。何故ダ……?」 動揺に声が震えるのも無理はない。完全な殺傷間合、正確かつ強力な太刀筋。間違いなく、首を掻き切ったと確信したろう。
「竜の鱗だなんてとんでもねえな。まあ、生きてられただけでいいとするか。はははっ!」
 大きくひび割れた甲冑を脱ぎ捨てながら、的外れに応じた。
「笑ウナ! 答エヨ!」
「さてね。人も信じれば、空ぐらい飛べるのかもしれんぞ」
「馬鹿ナ! 翼ナキ獣ニ、馬鹿ナッ!!」
 ここまではまさに、筋書き通り。冷静を欠いた天使など、敵ではない……はずだった。
 全身を怒りに震わせ、突撃してくる巨体を迎え撃とうとしたが、打ち所が悪かったのか立ち上がれない。足にきてやがる。こいつの馬鹿力が、ここまでのものだったとは……。
 くそ、どうするよ?
 痙攣する足を殴りながら、この窮地を脱するに足る策を探す。冷気を放つ……だめだ。この暑さでは、瞬間で練るには無理がある。
「ひとりで死ねるか!」
 相討ちだけを狙い、俺は剣を突き上げた。リーチの差で、それさえ果たせそうにないが、せめて一太刀は報いる!
 勝負は決し、紅い鎧を鮮血が垂れ落ちる。俺の剣は深々と胴体を貫いていた。
 目の前の結果が信じられなかった。俺の死はもう、避けられない運命だったはず。
 俺を窮地からさらったのは、乾いた空気を裂いて一閃したナイフ。首筋に突き刺さり、奴の動きを止めた。
 援護をくれた天使の少女は、蒼白な顔で立ち尽くしていた。自分の選んだ行動の理由が、自分でもわからない、そんなふうだ。
「生キテイタカ。認識番号、FZ6」
 仲間の死にも顔色一つ変えず、もう一匹がアンジェリカを呼んだ。無機的な番号で。
 そうか、そうだったのか……! やっとわかった、アンジェリカが天使から遠いわけが。まだ、いたんだな。
「オ前ノ罪ハ後ニ問ウ。帰還セヨ」
「……はい」
「待つんだ、アンジェリカ。どうして俺が天使食いなんて呼ばれるのか、教えてやる」
 このまま天界に帰れば、消されるのは目に見えている。そんなこと、誰がさせるか。
 アンジェリカの羽ばたきが止まったのを確認後、剣を杖がわりに立ち、胸の前で左拳を握った。
「参ルッ!」
「おおっ!」
 剣を天空に掲げ、空高く舞うと紅天使は、錐もみながら滑降してきた。
 死さえ覚悟の玉砕戦法に対し、真っ直ぐ突き出した左拳の人差し指を弾くように伸ばす。
 刹那、激しい回転運動は噴き出した鮮血と共に終わった。垂直に落下した紅天使の右肩は、肩当てごと砕け飛んでいた。
 急激に冷却、超圧縮させた大気が個体に触れることで、爆発的に膨張した結果だ。
 この技による傷口は、まるで大型の獣に食いちぎられたように、いびつな形になる。俺の異称の所以は、ここだ。
 鋭い刃に作られる傷に比せば、その痛みは絶大なものであるはず。なのに、呻きの一つも上がりはしなかった。剣を左手に持ち替え、胸を張り立つ。滑稽なまでに、雄々しい姿を見せつけてくれる。
「逃げんか、やはり」
 哀れみをこめ、残った四指を一斉に開いた。大剣の後ろに、身体を隠すような構えをとったのは、防御のつもりだったのだろう。
 俺の冷弾には、金属も無機物も関係ないから、気休めにもならなかったが。
「生きる喜びも悲しみも、死への恐れさえも、なに一つ知らずに消え死んで、それで命のつもりか大馬鹿野郎がっ!」
 紅天使はとうに、物言えぬ肉片と化している。それでも叫んだ目的は一つ。伝えたかった、天使の愚かさをアンジェリカに。
 届いてくれ、頼む。
「よくも、仲間を。許さない」
 けれどアンジェリカは、ゆっくりと絞り出した。天使としての彼女を。
「あれが仲間か。お前を番号でしか呼べない奴等が」
「名前のない落ちこぼれでも、あたしは天使! あなたを……殺す」
「さっきは、助けてくれた」
「あれはそう、手元が狂った……ううん、あたしが自分で殺さないと、意味がないと思っただけ!」
 アンジェリカはナイフを握り直し、一直線に突っこんできた。歯を食いしばり、ああ、目までつぶって。
 こんな隙だらけの攻撃で、最期――
「もっと上だ、心臓は。次は、ちゃんと見ろ。ほら、もう一回」
 痛みより、傷口から広がる熱を強く感じた。内臓は外れたか。
「なんで……なんで!? 敵同士でしょ! そうだってさっき、だってさっき言ったじゃない!」
 アンジェリカは後退った。肩から震えるその手を黒い血が、わずかに伝い染めた。
「それでも俺はもう、人間は殺さない。例え、半分だけでもな」
「えっ!?」
「たしかに、力ない天使は番号で呼ばれる。だが、お前に名がないのは、能力なんて関係ない。獣の数字を知っているか?」
「666、天使から見た獣、人間を指す数」
「そうだ。そしてFZ6という、認識番号。Fは6番目の文字、Zも神字では6なんだ。お前に、人間の血が流れているという暗示さ」
 だから、アンジェリカには隠しきれない心があった。少しの間でも本当の愛情を注がれれば、心は芽生える。アンジェリカはかなりの期間、父親か母親かは知らないが、人の元で育てられたに違いない。
「嘘、そんなわけない、あるわけない! 第一、天使は誰も、神様の御手で造られるのよ。他の生き物みたいに子供なんて産まない、命は連鎖しないんだから」
「でたらめさ、そんなのは。命を育てないなら、こんな物はいらないだろう」
 俺は鷲掴んだ、小さな胸を。声より先に、猛然と叩きつけられた平手打ちに怯むことなく、もう一歩踏みこんで、抱き締めた。
「恥ずかしいって、思っただろ。だから、殴った。そこらの天使にはどうやったって、そんな感情は生まれない。天使なんてやめてくれ、向いてない」
 腕の中、折れそうに細い身体は、なんの抵抗もしなかった。加減も知らず、きつすぎるほどに抱き締めていたせいかもしれない。
 そのまま、どれだけの数、鼓動が打ち鳴っただろう。抱かれたままでアンジェリカは、すすり泣くように呟いた。
「……離して、お願い。それでもあたし、天使でいたいの。天使と人間、半分ずつでも天使なの。あなたとは、人間とは違う。一緒には、いられない」
「だったら殺せ。天使として生きたいなら、俺の屍を足蹴にして行け」
 アンジェリカを軽く押しのけ、使い慣れた剣を足下に投げた。
「やれ。そうすればお前は、完璧な天使になれる。だが、チャンスは一度だ。半端なことしやがったら、今度こそ殺す!」
 アンジェリカは大きく唾を飲みこみ、俺と剣とを交互に見た。
「お前になら、殺されてやってもいい。……なんでだろうな、自分でもおかしいぐらいだ。早くしてくれ、俺の気が変わらないうちに」
 その小さな手には、重すぎる武器を拾い上げたアンジェリカは、柄を俺に向けた。
「できない」
「なぜだ?」
「だって、優しくしてくれたから。優しいって言葉だけは知ってたけど、初めてわかった、その意味が。それにさっき、世界中でひとりって言ってくれたよね。すごく、すごく嬉しかった。本当に嬉しかったんだ、あたし」
「…………」
「このまま帰っても、死ぬしかないの。だったら、あなたに殺してもらいたい。お願いします……殺してください」
 神々しいまでの笑顔を見せ、はっきり言いきったアンジェリカは両膝をつき、首を垂れた。胸の前で手を組み、最後の祈りを捧げる。それならば、せいぜい祈ってくれ。救われぬ魂のために。
 数え切れない命を奪ってきたこの剣に、たった数滴、新しい血が染みこむだけだ。迷いなど微塵もない。
「じゃあな」
「はい」
 掲げた白刃に光が跳ねた。玉になった汗が顎のラインを流れる。短く息を飲んで振り下ろした手首を捻り、俺自らの胸に突き入れた。
「んぐっ!」
 噛んだ唇の間から声が漏れた。さすがに、抑えがきかなかった。痛いとかもう、そういう次元は越えていた。ぶちぶちと、大事ななにかが断ち切れていく音が、体内で響いているくせに遠くで聞こえる。
 生命を切り離すってのは、こんなにも嫌な音がするんだな……。
 もう、いいよな、充分だよな。この娘を殺してまで、生きたくない。ひとりでこれ以上、生きてなんかいたくない!
 あれ、怒ってるのか、フレイア。なんだよ、泣くことないだろ。俺が悪いのか? だったら謝るから、そんな目でだけは見ないでくれ。
 ごめん、フレイア。
 ごめん。
 ごめん。
 ごめん、アンジェリカ。


 雨、じゃないか温かい。潮の味、海の名残。
「溺れさす気か?」
 合わない焦点の向こうから、こぼれる、こぼれる涙。泣き虫だなあ、こいつは。
「……もう、大丈夫だからね。あたしの羽は、どんな回復魔法よりも利くんだから」
 アンジェリカの膝に頭を乗せたまま、感覚の乏しい胸に目をやると、傷口は血染めの羽束で覆われていた。
「羽を抜くのって、痛いんだよ。髪の毛を十本まとめて引き抜くぐらい」
「ああ、そうか」
「む、その言い方はちょっと頭きた」
 手加減なしに、百本近い髪が引っ張られた。
「痛ててててて。悪かった、許してくれ」
 頭ではなく胸を押さえ、どうにか上半身を起こした。
「もう少し、寝てたほうがよくない?」
「いや、平気だ」
 膝枕に多少の未練はあったが、さすがにそんな体勢では、真面目な話は切り出しにくい。
「また、助けられたな」
「どうして、自分を傷つけるなんて馬鹿なこと。そんなのでフレイアさんのとこへ行ったって、怒られるだけだよ」
「だな」
「あたしを、殺せばよかったのに」
「できるもんなら、そうしたさ」
「半分、人間だから?」
「それだけじゃない。一緒にいて、俺だって本当は嬉しかったんだ。それで、狙われてるくせに、こんなこと言うのはあれなんだけど、だけどその、お前は帰る場所もないわけだし……俺の、俺の側にいてくれないか?」
 躊躇いを振りきり、震える心を声にした。
「そ、それって……」
 右の翼を、身体に巻きつけるようにして手に取るとアンジェリカは、真っ赤な顔でうつむきがちに、白い羽と間を繕った。
「だめか、俺じゃ」
「そんなことない! ……あのね、嬉しい、ほんとに嬉しいよ。もし、あたしが天使じゃなかった――あっ!?」
 アンジェリカが叫んだのは、照れ隠しに弄んでいた翼が、風に散ったからだった。タンポポの綿毛が舞うように、羽が流れる。
「あたしの羽。あたしの……」
 息を一つする間にも翼は、その大きさを半分にまで失った。裸になった翼骨も、柔らかい風に溶けていく。
「そんな、この世の終わりみたいな顔するな。翼がなくなったって、死ぬわけじゃないだろ」
「簡単に言わないでっ! 天使にとって翼は、命とおんなじなんだよ。神様を裏切ったから、こんなことに」
「天罰なんかじゃない。もう、必要なくなっただけさ」
「黙って! 人間には、わかん、ない……」
「ごめん、悪かった」
 なだめる意思で、突っ伏し泣く髪に触れようとしたが大きくかぶりを振り、アンジェリカは拒否を表した。
 参ったな。聞く耳を持たないってのは、こういう状態だ。しかたなく俺は掌に息を吹きかけ、アンジェリカの腕に近づけた。
「冷たっ!」
「泣くのは、話を聞いてからにしてくれ」
「……なによ?」
「問題。翼をなくした天使は、地上に堕ちた。なんになったと思う?」
「…………」
「なんになった?」
「堕天使、悪魔……皮肉なわけ?」
 しゃくりあげながらアンジェリカは、いままでになく厳しい瞳で睨みつけた。
「間違いだよ、悪魔にだって翼はあるだろ。それに、皮肉なんて言わない。俺は、お前と一緒にいたい、離したくない……」
 からからに渇いた口内を、わずかばかりの唾液で潤し、俺は心を続けた。
「……好きだよ」
「す、す、す、好きって……だ、だからね、あたしは天――」
 思いきり狼狽するアンジェリカに対し、照れと痛みをこらえて立ち上がると俺は、ゆっくりと背を向けた。
「天使が翼をなくすのは、翼より大切なものを見つけた証拠なんだ。俺が、保証する」
 一瞬だけ間隔を置いて、背中にアンジェリカが抱きついてきた。激突、と言ったほうが正しいかもしれなかったが。
「大事にしてくれないと、すぐに出て行くんだから」
「世界一、大切にするよ」
「名前、呼んで」
「アンジェリカ」
「もう一回」
「アンジェリカ」
「……泣いていい?」
「ああ、好きなだけ」
 背中を震わす泣き声に戸惑いつつも、自然と顔はほころんでいった。
俺だけの天使が流す温かな雫を、わずかに残った翼に受けながら。


                       end(あとがきあります)