「夏っちゃん夏っちゃん夏っちゃん!」 姿をまだ、階段に隠しながら静寂をぶち破り、名前を連呼しながら走り寄る葉月。 帰ろう、と夏樹が口を動かす間もなく、 「あのねあのね。これ、買ってもいいかな?」 葉月が両手で包むようにしながら差し出した、ピンポン球ほどの物体は、一見すると宝石であった。 「いま貰ったから、金は有るけど。これは?」 「骨を芯にして、それに宝石などを飾りつけるのが、髑髏館の本業なのですよ。完全注文制なので、市場には出回りませんが」 「じゃあ、この中にも骨が」 「もちろんです。これはたしか、ナイチンゲールの頭を使っているはずです。日本では、ヨナキウグイスとも言うらしいですね」 「買ってもいい?」 「完全注文制なんだから、無理だよ。さあ、帰ろう」 いくら美しかろうが、やはり骨は骨。そんな不吉な物を、葉月には持たせたくなかった。 「いえ、差し上げますよ」 「ほんとに!」 「はい。久しぶりのお客さんですから、サービスしておきませんと。よろしければ、またお越し下さい」 「マタキテネ!」 「わかったわ、カリッォー。またね」 夏樹はもう、苦言する気力も残っていなかった。とにかくここから出て、汚い部屋に帰り、冷たい布団で眠りたかった。 これだけ疲れていれば、これ以上悪夢を見ることもないだろうから……。 あの日から、一週間が過ぎようとしてた。首の胴体が発見されたというニュースもなく、夏樹には忙しい日常が戻っていた。 髑髏館の帰りに携帯電話を買い、葉月と連絡を取れるようにはしていたが、夏樹から二度かけたきりで、葉月からの連絡はなかった。 夏樹としても、葉月とは少し間を開ける必要があると感じていたので、それほど気にはかけなかった。 「やれやれ、やっと明日は休みだ」 夜の八時を過ぎてアパートに帰りつき、夏樹は誰もいない部屋で言葉を吐いた。そしてすぐに、テレビをつける。独りで暮らすようになって、身についた習慣であった。 独り言が多くなったのも音がないと、どことなく寂しいからであろう。 万年床に腰を下ろすと、視線の端に留守番電話の点滅が見えた。 どうせ母親からだろうと、再生ボタンを押した夏樹の耳に、葉月の声。 「夏っちゃん、あたし。あのね、家に来て欲しいの。待ってるから」 差し迫った感じはないが、やはりなにかがおかしい。夏樹はすぐに、部屋を後にした。 葉月の部屋に入り、夏樹は愕然とした。部屋の至る所に、美しい宝石を着せられた、頭の骨が飾られていたのだ。 「買ってきたの、いっぱい。あのお金、全部使っちゃった」 「お前……」 「凄いんだよ、この子たち。夜になると、鳴いたり吠えたり、人間の言葉まで喋ったりするんだから」 やはり葉月の精神はもう、壊れてしまっていたのだろうか。夏樹の目を中心に、とまどいが深く表れた。 「嘘なんか言ってないよ。ほら、静かにして、ナイチンゲールが鳴くよ」 部屋に響く、可憐な小鳥の声。小さな頭蓋骨が、震えながら鳴いていた。 「ね、ねっ、鳴いたでしょ。夏っちゃんに聞かせたかったんだ、この声。それ――」 「もういいっ!!」 叫ぶやいなや、夏樹は手当たり次第に、髑髏の宝石を床に投げつけた。 「おかしいぞお前。なんであんな店に行くんだよ? なんでこんなもの買うんだよ? どんな細工がしてあるか知らねえけど、悪趣味な物集めて喜ぶなっ!」 「ほんとに喋るんだもん……」 「そんなに喋りたけりゃ、学校で友達と話せ」 「夜は一人だもん……」 「だったら俺に電話しろよ」 「迷惑だから……」 「そんなことないって。葉月からだったら、俺は嬉しいよ。誰と話すより嬉しいから」 「……嘘」 「嘘じゃない」 「だったらどうして、どうして彼女なんかつくったの? なんであたしじゃなくて、他の女なの! あたし寂しくて、辛くって……」 それ以上は、声にならなかった。顔を押さえて葉月は泣き伏す。 ああっ、と夏樹は細く嘆息した。差し障りのない言葉など、探す気にはならなかった。やはり気持ちは、同じだったから。 「俺だって、俺だって葉月のこと好きだよ。だけど、なにかがいつも邪魔するんだ。何百回も好きだって言いたかったけど、どうしてか言えなかった……」 泣き止まない葉月を抱き上げて、夏樹はベッドへ運んだ。そして覆いかぶさるようにして唇を合わせた。 「けど、もう、こりごりだ。俺の中のなにが騒ごうが喚こうが、葉月を抱く。……大学出たら、結婚しような」 「結婚……。そうだね、できたらいいのにね」 言葉全体に否定的な香り。だが、昂ぶる気持ちの夏樹に、気付く余裕はなかった。 「それであたし、その、初めてだから……」 「……俺もだけど」 「え? 彼女いたのに」 「すぐに別れたよ。どこに行っても、葉月とだったらって考えてさ。俺はお前しか、やっぱり愛せないんだ」 「ありがとう。大好きだからね、夏っちゃん。ずっとずっと、死んでからもずっと……」 「お金はいりませんから、これを全部引き取ってください」 夏樹は翌日、髑髏館を訪れてバーブチカに骨を突き返した。 「それは構いません、と申すより経営者としては、お礼を言うべきなのでしょうね」 「葉月にはもう、こんな物は必要ないんです。俺がずっと、側にいるって決めたから」 「……ほう、やはりそれが運命ですか」 「なんですって?」 夏樹は睨むように、バーブチカを見やった。 「貴方達二人がここに来ることができた、いえ、ここに来ざるをえなかった時点で、全てが始まり、そして終わっていたのです」 「なにを言ってるのか、わかりませんね。じゃあ、たしかにお返ししましたから」 「お待ちなさい。返品代金の代わりに、一つ話をしましょう。そこの椅子へどうぞ」 踵を返しかけた夏樹に、バーブチカは命ずるように言った。その声には、初めて感情らしきものが含まれていた。 「最初に断っておきますが、あのお嬢さんは、貴方のことを愛していただけなのです。騙そうとも、嘘をつこうとも考えてはいなかった」 「…………」 「その深すぎる想いが、見えぬ力を動かした。つまり、私達を」 「あんたは誰……なんなんだ?」 「私はバーブチカ。人界と幽界を、行き来する蝶。人の心から吹き出た、黒い炎を中和する白い蝶……。貴方は知らないが、お嬢さんは重大な秘密を一人で抱え悩んでいた」 「……秘密? なんのだよ。俺はあいつのことを知ってる。もしかしたら、自分以上に」 「己の心より他人の気持ちがわかるなど、所詮は甘い幻想……などとは申しますまい。お嬢さんを愛しているから、言える言葉でしょうから。しかし、愛しているからこそ隠さねばならぬことがあるのも、また」 「だからなにをだっ!」 夏樹は苛立った。いや、言い知れぬ恐怖を隠すためにいきり立った。バーブチカは、物悲しげな瞳で、そんな夏樹を見つめた。 「貴方達が兄妹、双子の兄妹であるという事実。男女の双子は不吉だと、産まれてすぐに引き離された、実の兄妹だということです」 「……馬鹿な。そんな風習、残ってるわけが」 「悲しいけれど、それが真実。愛していたのに、どうしても踏みこめなかった貴方の本能は、正しかったのです。妹なのですから」 「嘘だ嘘だ嘘だっ! だって……そう、葉月と俺は、誕生日が二ヶ月も違うんだ。俺は真夏の八月で、あいつ十月――」 夏樹の唇は、ぴたりと止まった。陰暦の葉月とは、現在の八月に当たるではないか。どうしてそんな簡単なことにさえ、今まで気付かなかったのだろうか……。 「さて、事実を知った貴方は、これからどうするおつもりです? 妹だとわかっても、愛せますか? 抱けますか?」 「わかんねえよ、そんなの。俺は葉月しか愛せない、愛したくなんかない。けど、けど――」 たとえ血は繋がっていても、離れて知らずに暮らしていたのだから、他人と言い切ることもできる。しかし……。 「わかるわけ……ねえよ。どうやって話せばいいのか、どんな顔をすればいいのか、いままでみたいに……愛せるのかも」 「同じ葛藤を、お嬢さんも経験したのです。貴方と距離を置いて、答えを求めた」 「去年にはもう、知ってたのか」 「この国で二十歳というのは、節目なんでしょうね。いろいろな真実を告げられる時期」 「時間が、俺にも時間がいる。葉月にも話を訊かないと。その後で一年、いや半年あれば、なんとか答えを」 それは当然の呟きだった。いきなりこんな話を、それも他人からされて、信じろというのが無理なこと。 「そんな猶予は有りません。お嬢さんは、自ら命を絶つつもりです。一度だけ思いを遂げて、その思い出を胸に死を向かえる覚悟を決めていらっしゃる」 「そんな……!」 「嫌ですか?」 「あたり前だろうがっ! そんな勝手に、俺を置いてどこに行くってんだよ! 行かせなんかしないぞ俺は!」 「助けたいのですね?」 夏樹は椅子を倒しながら立ち上がり、出口へ駆け出そうとした。 「間に合いませんよ、どれだけ急いでも。しかし、貴方にその気がお有りなら、助力するのもやぶさかではありません。大きな代償が必要ですが」 「身代われと言うならそうする。けど……そうなったら誰が、誰が葉月を幸せにしてくれる? 誰かいるのか、俺以外に」 「いいえ、世界中で貴方しかいません。他にいるのなら、私達もこんなことはしない。お二人を別々の相手と、結べばいいだけですから。当初は無理にでも、そうするつもりでした。けれど、私どもの中にも、無用にお節介な輩がいましてね。独断でお嬢さんの願いを聞き入れてしまったのです。しかし、このままではあまりに悲しい。私はお二人を、幸せにするためにここに派遣されたのですから」 バーブチカの背に一対の羽が、夏樹が知っているどの白よりも白い、蝶の羽が産まれた。 「世間一般からみれば、幸福と言わないかもしれません。貴方に残るのは、ほんのわずかなもの。人間という言葉では、呼ばれなくなります。それでもよろしいですか?」 「葉月は、それで幸せなのか?」 「もちろんです。お嬢さんが愛しているのは外見などといった、せせこましいものではありません。貴方でさえあれば」 わずかの間、夏樹は黙考した。 「お願い……します。あいつは多分、死ぬほど苦しんだ。そして、俺を愛することを選んでくれた。だったら今度は、俺が苦しまないと……。俺はただの、つまらない男なのに。金もないし、かっこいい歌の一つさえ作ってやれない。でも、一緒にいることだけでも、許されるのなら……幸せだから」 バーブチカの手に死神が使うような、巨大な鎌が握られた。 訳のわからぬ内に、奇妙な首から始まった事件であったが、こうなることが最良なのだと、夏樹の心は妙に華やぐ気がした。 「最後に一つだけ。あの犬みたいな首は、一体なんだったんですか? 人間、それともあなたの仲間とか?」 「あれは貴方です。時間が前後しますが、あれは貴方の首だったのですよ。どう見えるかは、心の状態によりますがね。すべて因果は流れ流れて、運命の海に注ぎこむもの。結局この事態は、あなたの了承も得ていたということです」 振り返り、ガラスケースに映る自分を見て夏樹は、大きくうなずいた。 「ほんとだ、あれは俺だったんだ。だから葉月は、見過ごして帰れなかったんだ」 微笑みながらのその言葉が、人間としての最後の言葉であった。 「オワッタ?」 空間を歪め、カリツォーが現れ出た。 「ええ、こっちは。お嬢さんの方は?」 「ヨテイドオリ」 「では行きますか、優しくも悲しい彼の首を置きに。カリツォーの作る時間の輪の中へ」 「バーブチカノハネデ、トキヲコエテネ」 葉月の部屋では、楽しそうに会話が始まった。太陽が完全に隠れると、夏樹だった髑髏は、口を利くことができるようになる。 「で、なんだよ。嬉しい報告って?」 「赤ちゃん……できてたの。三ヶ月だって!」 とっくに必要のなくなった息が、前歯の間からかすかに漏れた。 「どうしたの溜息なんて。嬉しく……ない?」 「嬉しいに決まってるさ。こんなに幸せでいいのかなって、怖くなったんだ。ただ――」 こんなときぐらい、涙が帰ってきてくれたらなあ、と今はない胸を少しだけ痛めた。 end(あとがきあります) |